眠れずに困った中学2年の夏

中学2年の頃です。当時突然、母と父が離婚してしまいました。私にとってそれはとてもストレスで、お腹が痛くなったり頭がぼーっとなったりしていたのですが、夏のある日にとうとう眠れなくなってしまいました。何日もなかなか眠れない日が続いたので心療内科を受診しようと思ったのですが、母がなかなか私が精神障害で眠れなくなっているのだと認めたくなくて病院に通い始めるのが遅れてしまいました。いざ心療内科に通い始めて統合失調症用の眠れるようになる薬を貰っても「この薬を飲んだら眠れるのかな」などと考えてしまってますます眠れなくなり、一向に眠れる日がきませんでした。心療内科に通う前は「通いさえすればすぐ眠れるようになる。薬さえもらえば眠れるようになる。」と思っていたのでとてもがっかりしましたし、「お医者さんでも駄目なら私はどうすれば良いのだろう」とよけに気分が憂鬱になってしまいました。その後、学校に行くのも嫌になってしまい中3の頃は学校にほとんど通うことが出来ませんでした。これには母親も心配して別の心療内科へ行くと今度は「うつ病」と言われてしまいました。日中明るい時間帯は良いのですが暗くなるにつれ気分まで暗くなり夜は相変わらずなかなか眠ることが出来ず常に寝不足でした。学校にも行きたいとは思えませんでした。高校にはなんとか進学したものの出席日数がギリギリでした。その後、大学受験を経て大学に入ってようやく全ての症状が緩和しました。どうやら親の存在がストレスだったようで、下宿することで一気に親のストレスから解放されたのが良かったようです。


精神障害を抱えていることは周囲に内緒にしています。

私は20代前半から複数の障害を抱えています。現在は定期的に専門の医療機関を受診するのみで、他に社会復帰のための訓練を受けるなどは一切していません。それどころかごく近しい人以外には、私が今精神障害を抱えて生活していることを隠しています。私には子どもが2人いるのですが、まだ小学生と幼稚園児でありもし子どもに知られてしまったら母親は変な状態だと認識されてしまいますし、もしそこから周囲の保護者に私が精神障害であるということがわかってしまったら子どもたちもいじめに遭ってしまうだろうという危機感を持っているのです。現在どちらの子どもに対してもママ友との付き合いは避けられず、ママ友には1人でもこの情報が伝わったら翌日にはほぼ全ての人が私が精神障害であることを知っていることになるので、極力ママ友とは不自然にならない程度に付き合い、また避けるようにしています。また現在専業主婦をしていますが、統合失調症などの精神障害のある人については仕事をしたくてもほとんどのところで採用を断られたと同じく障害に悩む友人が語っており、自分も子どもが大きくなっても再び外で働くのは難しいことだと考えています。地域によっては自治体や民間団体が主体となって精神障害のある人の生活をサポートをしたり就職ができるように支援する就職支援サイトなどの仕組みが出来上がっているというところもあるようですが、私の住む自治体は地方都市で子どもに対する支援もまだ完璧でない状態のために今の状態で就職するのは難しいことだと思っています。

統合失調症 転職

 

肉親の不幸と心療内科

もうだいぶ前の話になりますが、元々寝つきが良くなかったものの不眠症の域に達してきたかなと感じたこと、また胃の不調が続いたこともあり、心療内科を受診してみました。
心理テストのようなものとカウンセリングを受けて、薬を処方してもらいました。
診断名は不安神経症
そんなに重くない部類のものかなと捉えました。
やっと眠れた!と思った矢先、母が亡くなったとの連絡が。
まだ若かったし、闘病していたわけでもなかったので、突然のことに実感がわきませんでした。
心療内科の先生にそのことを報告すると、両手で顔を覆ってうなだれました。
私の精神障害が悪化すると容易に想像できたのでしょう。
母とは生前よくケンカしていたし、いなくなってせいせいしたもんね!なんて最初は強がっていました。
でも母子家庭だったのでたった一人の親。
祖父母は生きていましたが、やはり母は自分が思っていたよりずっと大きな存在だったと思い知らされました。
一周忌が近づくにつれて実感がわいてきて、母の好物だった食べ物が食べられなくなったりといろいろな症状を出すように。
こうなってくると、もう軽い病気とは言えませんよね。
近しい人が亡くなると、大なり小なりみんなうつにはなると言いますが、私は結構重いところまでいってしまって、治るのにかなり時間がかかりました。
今はもう元気になって心療内科にも通っていませんし、笑顔で母の話ができるようになりましたが、当時は本当につらかったなぁと思います。

車いす生活と電車バス

私は普段から簡易電動車いすというものを使って生活しています。
使って、と表現するのは違和感がありますね。
車いすは私の足です。
アルバイトをしておりまして、電車とバスを利用して通勤しています。
いつも仕事が終わると、職場近くの駅員さんと電車を待ちながら会話をします。
会話の内容は天気のことだったり、他愛もない会話なのですが、私にとってはそれが「ないと寂しいもの」になっています。
スロープ板を出してくれる駅員さんが大体いつも同じ方なのでよく話をするのですが、先日「同じ会社の車いすの方、今週見かけませんけど何かありましたか?」と心配してくださって。
ちょうど体調を崩して休んでいたところでした。
私たちの生活に欠かせない移動手段を手伝ってくれるだけでなく、体のことまで気にかけてくださるなんて、本当にお優しい駅員さんだなぁと感動しました。
電車やバスを利用する時に私が心がけていることは、できるだけ大きな声でハッキリと「ありがとうございます!」と言うこと。
例え嫌そうに対応されたとしても、です。
文句を言うことは簡単ですが、常に笑顔を絶やさず生きていることで変えられるものもあるのではないか、というのが私の持論です。
いつもお世話になっている駅員さんやバスの運転手さんへの感謝の気持ちもありますが、「ありがとう」と一日に何度も言っていると自分の気持ちが明るくなってくるのです。
「すみません」とつい言ってしまいがちですが、できるだけ「ありがとう」を口にするように心がけています。